ストレスフリーの暮らしを目指す

物欲は人並み以上です。ミニマリストを目指しながら、子育てや、日々の暮らしを綴ります。

義実家と縁を切った話~義実家は金に汚く、実家は家が汚い~

主人と結婚して嫁になってからは、義両親と一緒には暮らしていないものの主人の家の者になったのだと自覚してきました。

 

東北大震災の時には、私は会社員として働きながら、被災した義両親、義弟家族合わせて7人の暮らせるアパートを私名義で借り、敷金礼金、家賃を支払い、食器やら家電など家財道具一切を買い用意し、私の住んでいるアパートの近くに迎え入れました。

義両親らは半月程そこで暮らし、自分らで支払ったその生活費はもちろんのこと、私が支払ったアパート代や家財道具の領収書等も私から受け取り、〇京電力から弁償費用として受け取りました。

まだこの時は、私の両親もこういう風になった時はお互い様だからと、全く気に留めずにいました。むしろ、私が役に立って良かったと思いました。

 

この避難したアパートを引き払い地元へ戻る際、私にお義母さんが「あゆさん、お世話になったね。これ、使って。」と銀行の封筒を渡してくださったので、現金だと思い「いえいえ。受け取れません。」と封筒を押し返したところ、銀行の封筒に入っていたのは、ファミレスの10円引クーポンや、食事処のドリンクバー無料券だったことを覚えています。

 

その後、おじいちゃんの米寿のお祝いにも、プレゼントとお祝いをあげたり、おじいちゃんが入院すれば、私たち夫婦は他県から高速をとばし顔を見に行きました。本来、主人はおじいちゃんの孫ですから、孫の嫁として私も面倒を見なくてはいけない立場だと思っていましたので、入院しているおじいちゃんの洗濯物などお義母さんが面倒みるのも大変だと、私はお義母さんにお金を渡しました。

 

主人の弟(三男)が家を新築した時には、2桁のお祝いを渡しました。

義両親にも、別に住んでいる主人の弟(二男)にも、お中元・お歳暮はかかさず送ってきました。私の実家の3~4倍の値段の物を送ってきました。

義両親には、母の日、父の日、2人の誕生日、おいしい物があれば義両親にも送りました。

私は主人の家の者として自分の両親より主人の両親を大切にしてきました。

主人の両親のことは本当に好きでした。

 

 

主人の両親は、二男、三男へは自宅を建てる資金を渡しているにも関わらず、あることをきっかけとして(←詳しくは書きません)、私たちが泊まりに行った時に翌朝、主人には、育つまで1,900万円かかったことの明細を出してきたのです。朝まで寝ないで書いたお義母さんの執念がなんだかとてつもなく怖かったのを覚えています。私はチラッと見ただけでしたが、主人が高校生の時に模試を受けに行った時の食事代が載っていました。笑。わぉ、、、。

ちなみに、我が家は主人の医学部時代の奨学金を毎月返していますがね。1,900万円には医学部のお金は入っていないことになります。どのお金を集計して1,900万円の大金になったのか、、、。食事代とか衣服代、、、?

 

最終的な決着として、私が受け取った結納金も合わせて、お義母さんが主人に貸したとする380万円程を全額返して、縁切りしました。

元気で東京オリンピックまでは生きると言っていたおじいちゃんが具合が悪くなって1か月程であっという間に亡くなって、当てにしていた年金がもう入ってこないし、じゃあ医者になった息子からお金を、、、となったのかもしれません。私が良かれと思って、お祝いや贈り物していたことで足元を見たのかもしれません。

 

大金を返済したのは、主人がお義母さんと言い合う中で啖呵きったという一面もありますので、お義母さんは主人だけが縁切りしたいと勝手に言っていると思ったのか「あゆさんは、本当に縁切りしてもいいんだね?」と言いましたが、大金を渡してなお今まで通りお中元やお歳暮、誕生日などの贈り物をする程、私はお人好しではありません。

 

縁切りしてから、私たち夫婦は子供が産まれる前に、本籍を私の実家に移しましたので、子供の名前もいつ産まれたのかも義両親は知りません。知らせるつもりはありませんし、子供は見せません。

 

このようにして、義実家は金に汚く、実家は掃除してないから家が汚い(ヨッッ!!!ウマイ!!!!)という現実が出来上がります。

 

でも、私たち夫婦には子供が産まれて、主人も私も今のところ健康で、喧嘩しながらですが楽しく暮らしています。なので、今が1番幸せです。

 

 

かなり端折って書いています。今後、この記事は修正するか、削除するかもしれません。

 

 

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